「やれやれ・・・」
暖かな陽光が降り注ぐ城下町の昼下がり、
それとは少し不似合いな苦笑じみた顔で
手には片腕で一抱え程度の紙袋を抱えながら
俺は大通りから二本ほど離れた通りを歩いていた。
俺の名はノエル=ガートラント。
近衛騎士隊に所属する騎士だ。
まぁ、近衛騎士とはいえ城内に四六時中張り付いているわけでもないのだが
それでもこんな昼日中に、鎧姿で城下町をふらついているのは
近衛騎士としては妙ではあるが、これもれっきとした”公務”のためであった。
そして、通りを抜けること数分、
俺の目は漆喰作りの教会の姿と、
その前の広場で走り回る子供たちと一人の女性の姿を捉えた。
そしてもう一度、微かな笑いを唇の端に浮かべると
俺はその輪の中へと歩を進めていった。
「あ、騎士様!」
そして近づいていった俺に真っ先に気付いて声をかけたのは
走り回っていた子供の一人だった。
その声に反応するように他の子供たちも俺の姿を認め、
俺の周りへと駆け寄ってきた。
「やぁ、こんにちわ。みんな元気そうだな」
その彼らの笑顔につられたわけではないが、
俺もまた彼らに笑顔で応え、
抱えていたリンゴの詰まった紙袋を子供たちに渡した。
子供たちはそれを抱えると歓声を上げて
教会の中へと走りこんでいった。
それを見届けた俺はただ一人残った女性に
目礼を施してその前へと近づいていった。
「もうそろそろ来る頃だと思ってたよ、ノエル」
そして近づいてきた俺に女性は−俺の自惚れでなければ−
親しみを込めて微笑みかけてきた。
「・・・しかしながら、程々にしておかないと、
近衛隊長と侍従長がそのうち心労で倒れますよ、姫様」
その女性に対して、俺は少々意地が悪いと思いつつも
その耳元で子供たちには聞こえぬよう囁いた。。
すると効果覿面、「姫様」はむっとしたように唇を尖らせた。
・・・そう。
この女性はただ教会にやってきた市井の女性などではない。
この国でもっとも高貴な女性の一人、
ブレイダイン王家の姉姫、リーン=ステラ=ブレイダイン
というのがこの女性の持つ名である。
御年19歳、夏の空色をした瞳と鮮やかな蜂蜜色の
今は頭の後ろで縛って馬の尻尾のように背に垂らしている
美しい御髪を持つこの姉姫は
自分の主君ということを差し引いても
近隣諸国に並ぶべくもない美姫であると誇ることができる。
その美しさと気品はこうして市井の女性の服を身に纏っていても
欠片も損なわれることはない。
・・・が、その美姫の唯一の欠点
(と城にいる大半の人間はそう思っている)
が、このようにしばしば城を抜け出して市井の人と交わることである。
俺個人としてはむしろ好ましい行動に見えるのだが、
俺などとは住む世界が違う「お偉いさん」達にとっては
それは「下賎なる者に触れて手が汚れること」になるらしい。
ま、それこそどうでもいいことだが。
逆に、市井の人間というのはよく伝承歌に出てくるような、
「お忍びの王族」という奴が大好きだったりする。
そしてこの姫様もどこから漏れたのか
お忍びでよく城下に出てくることは結構知られており、
それは彼らに好意をもって迎えられていた。
ただまぁ、目の前のこの女性がその人だと知る人は
本人と、常に彼女の近衛として付き従う俺以外にはいないだろうが。
「ノエル」
と、そんな俺に「姫様」が拗ねたように呼び、
そこで俺の思考は眼前の「姫様」に戻された。
「ここにいるときは私を「姫」と呼ぶなと言ったよッ」
そして俺の鼻先に細く白い指を突きつけながら
どこかしら怒ったような口調で語気強く囁いた。
・・・我が主ながら中々器用なお人ではある。
俺がこの姫様の近衛となって仕えるようになり、
「お忍び」に付いて行くようになってまず言われたことなのだが、
「城を抜け出している間は私を姫と呼ばない、姫と扱わない」という
王家に仕える騎士にとっては大いに困るものを提示されたのである。
立場上、即座に首を横に振るべきだったその願いは、
まるで手に入れた宝物を奪われまいとしているかのような、
その必死の懇願を込めた視線の前に叶えざるを得なくなった。
そしてそれは今でも続いている。
「申し訳ありません、リーン。
隊長が、リーンが出かけるたびに胃の辺りを抑えるので、
流石に少々哀れになってきましてね。
俺としては非常に不本意ではあったのですが」
一見申し訳なさそうでその実、爽やかに言い放った俺を
「姫様」、リーンは半眼で睨んだ。
その目が「どうだか」と言外に告げているが、
俺はあえてそれに見ないフリをした。
「・・・まあいいわ。ノエルも今日はゆっくりしていくんでしょ?」
「ええ。リーンがその気になるまでお付き合いしますよ」
そう俺に尋ねたリーンに、俺は笑ってそう答えた。
その答えにリーンは満足そうな笑顔を浮かべる。
最初の頃、公務と肩を張っていた俺は
リーンを半ば無理やりに担ぎ上げるようにして城に戻したことがある。
するとその後の「姫様」のご機嫌が斜めを通り越して真横まで傾いてしまい、
却って俺が周りに責められるということになった。
以降、城の方でも「姫様」の気が済むようにやらせようというのが
暗黙の了解となった。
まぁ、俺自身いささか腕に覚えがあり、
ここで早々間違いなど起こさせない自信と
同様の周りの評価もあったのだが。
「お姉ちゃーん! 騎士様ー!」
そのとき、教会の入り口からの何人かの子供たちの声に、
俺たちもそれに手を振って教会へと足を踏み入れたのだった。
この教会は、国より寄進された孤児院でもあり、
何らかの理由で孤児となってしまった子供たちを大勢養っている。
そして寄進の名目がリーンの誕生の折だったため、
「自分の名において寄進された孤児院を視察に行く」という
リーンの大義名分が成り立ってしまったため、
家臣達も止めるに止められなくなったという経緯もあった。
もっとも、そんなものはただのこじ付けでしかないのだけれども。
とまれ、ここにいるときのリーンは城にいるときとはまた違い、
とても生き生きとした表情を見せて
ここで子供たちと共に過ごすことが何よりも楽しいのだと
そばで見ている俺にもはっきりと感じ取ることができる。
(・・・この人にはひょっとして「姫」という立場は
窮屈でしかないのだろうか・・・?)
それがあまりにも楽しそうなので、
子供たちと笑うリーンを眺めながら
ついそんな埒もないことを考えてしまう。
そしてふと窓越しに空を眺めると、
日は既に稜線にかかり、間もなく夜が訪れようとしていた。
それは、この時間の終わりも意味していた。
「いつものことながら、なんとも賑やかでしたね」
既に日も落ちきった孤児院からの帰り道、
リーンが辞去するときの様子を思い出して俺は苦笑混じりに呟いた。
「そうだね」
リーンもまた思い出したようにくすくすと笑い、
そして視線を上に向けて夜空の月を見上げた。
そのまま歩き出したリーンに倣って
俺も夜空の月を見上げながら、リーンの少し前を歩き出した。
「・・・綺麗な月だね」
「そうですね」
しばしの沈黙。
「・・・ねぇ」
不意に、リーンがポツリと漏らした。
俺は視線を夜空から降ろしてリーンに向けたが、
リーンは未だ視線を夜空の月に向けながら言葉を続けた。
「・・・ノエルはどうして騎士になったの?」
静かな、虫の音と二人が土を踏むくらいしか音のない月夜に、
囁き程度のリーンのその声は、
先を歩いていた俺の足を止めさせて
振り向かせるに十分の大きさを以って耳に届いた。
「騎士になった理由・・・ですか?」
流石に少々面食らっていたかもしれない俺の声に、
リーンは今度こそ夜空の月から視線を降ろし、
好奇心にわずかな真摯さをこめた瞳を俺に向けた。
その瞳に視線を絡めた俺は一瞬目を閉じ、
直後、ふっと唇の端に微笑を浮かべた。
「・・・俺が剣を取り、騎士になったのは、
ある人の言葉があったからですよ」
そう穏やかな声で話す俺に、
リーンは傾げた小首と視線でもって話の先を促す。
その視線に負けたわけではないが、
俺は今一度、夜空に浮かぶ張り詰めた弓のような
三日月を見上げて一つ息を吐くと、
未だ誰にも話したことのない話を紡ぎ始めた。
「・・・115っ、116っ!」
その頃のノエル=ガートラント、つまり俺は
恥ずかしながらいわゆる反抗期真っ只中だった。
小身貴族の我が家、そして我が父上は、
広大な高原に広がる王家の避暑地を管理するという
名誉なんだか未だに良く分からない役職に
それこそ一命を注いでいたが、
俺は、そんな役職も、父上も心底嫌っており、
毎日屋敷を飛び出しては避暑地に隣接した森の中で
木剣の素振りに没頭していた。
「・・・149っ、150っ!」
そんなある日のこと、
素振りに区切りをつけて一休みしようと木剣を降ろした瞬間、
突然、背後の茂みがガサガサと音を立てて揺れた。
この辺りはまだ自然が手付かずで残されており、
野生の熊や狼が出没することもある。
このときの俺もてっきりその類と思い、
慌ててその場所から飛びのいて
木剣を、いつでも振り抜ける体勢に構えた。
ガサッ!ガサガサッ!
だんだん大きくなる音に俺は剣を握る手に力をこめ・・・
「ぷあぁぁっ!」
そして、果たして茂みから転がり出てきたのは
熊でも狼でもなく・・・俺と同い年くらいの
二人の少女だった。
「・・・っなっ!?」
思わずうめいた俺の声に二人の少女が揃って顔を上げ、
結果、二人と俺の視線が見事にぶつかることとなった。
「・・・あっ」
二人の少女のうち、一見おとなしそうな少女が
俺の姿を認めて声を上げる。
そしてしばしの沈黙の後・・・
「「キミ、誰?」」
俺ともう一人の少女の声が見事に重なった。
そして再び沈黙が訪れ・・・
「「「・・・ぷっ」」」
三人の吹き出すような笑いがそれを打ち破った。
「でもどうして君たちみたいな女の子がこんなところに?」
先ほど笑いあったことですっかり警戒を解いた俺は
目の前の彼女たちに尋ねた。
すると、少女たちは何か嫌なものでも思い出したかのように
顔をしかめて、まるでボディチェックをするように
お互いの服を調べだした。
そして、何の異常もないらしいことが分かると、
改めて安堵の息を吐いて俺に向き直り、
「えぇと、さっき森の端っこの方を散歩してたんですけど・・・」
「そしたら、こーんなおっきなイモ虫が肩の所に落ちてきたのよ!」
大人しそうな少女が相変わらず上の方を気にしながら話すのを
活発そうな少女が後を継ぎ、両手の親指と人差し指で
せいいっぱい大きな輪を作って俺に見せた。
・・・いや、未開の密林じゃあるまいし、
そんなのはいないだろう、さすがに。
そんな自身の内心の声を聞きながらも、
それを表に出すことはなく俺は二人に笑いかけた。
「まぁ、その様子だとかなり走り回ったみたいだね。
イモ虫はともかく、二人ともちゃんと帰れるかい?」
そんな俺の台詞に二人の表情が固まる。
どうやらそこまで思考が追い着いていなかったらしい。
「・・・ど、どうしよう」
見れば、大人しそうな少女は既に涙目になっている。
俺はそれを宥めるように、慌てて付け加えた。
「ええと、ど、どこから来たんだ?
この辺りはちょっと詳しいから俺でよければ送ってあげるよ」
そういった俺を二人はきょとんとした表情で見返した。
「詳しいって、キミ、この辺りの子なの?・・・えーっと」
言われて俺はようやくまだ名を名乗っていないことに気づいた。
「そういえば、まだ名前も言ってなかったね。俺はノエル。
ノエル=ガートラントだ」
「私、リーン=ステラ=ブレイダインよ。そしてこの子が・・・」
「え、えとえと、ミリア=ディア=ブレイダイン・・・です」
俺の名乗りに対してあっさりと返された二つの名前。
しかしその名の意味に気づいたとき、俺は呆然と呟いていた。
「・・・ブレイダインの双子姫・・・」
これが、後に我が剣を捧げることになる
主君との邂逅であった。
「ノエルさんはいつもここで剣を振ってるんですか?」
森の中の、なるだけ歩きやすい場所を選んで二人の前を歩いていた俺に、
不意にミリアが問い掛けた。
「うん。俺は、いつか騎士になりたいから」
振り向き、まっすぐに二人を見て答えた俺に、
二人は一瞬顔を見合わせると、
「じゃあ、ノエルが私たちを護ってくれるのね」
「きちんと護ってくださいましね」
微笑みとともにそう言った。
この国の騎士になるということは、ひいてはこの国の姫である
リーンとミリアを護るということ。
今この瞬間までまったく意識していなかったこの事実は
二人の微笑、そして言葉とともに俺の心の空隙に
コトリとはまった気がした。
だから俺は、
「うん。俺はいつか騎士になって、
他の誰よりも強い、二人を護る剣になってみせるよ」
二人に向かって自然とそう言葉を紡いでいた。
その後、二人を送り届け、
そのときはそれで終わったのだが、
それから数週間後、王都から俺に対し召喚状が届き、
王都のある騎士の下で見習としてつくことになった。
それが彼女たち二人の言葉添えによるものであることを知り、
そこで数年の見習い期間を終えた後に
俺は晴れて騎士叙勲を受けることになる。
そこからは剣の腕一本を頼りに、
現在は王女付の近衛騎士にまで上り詰め、
俺は幼き日の約束を守れる場所にやっと立てるようになった、
というわけである。
「でも、ノエルは私たちと出会う前から騎士を目指していたんでしょ?
だったら、私たちが騎士を目指した
理由にはならないと思うんだケド・・・」
話を聞き終えたリーンが、視線を逸らしながら言う。
根が照れ屋なため、こういうことを言われると
照れくさくて仕方がないのだろう。
だがしかし、俺はそんなリーンに
ゆるりと首を横に振った。
「いいえ、あの言葉があったから、今俺はここにいます。
もしあの言葉がなくただ憧れているままだったら、
俺は騎士見習にすらなれていなかったかもしれません」
剣を持つだけなら野盗にもできる。
それと騎士を分かつものは即ち、
護るべきものがあるかどうか。
そして、俺にそれをくれたのは間違いなくこの二人だった。
「・・・だから、俺は二人のためだけの剣であり、
リーンとミリアが俺にとっての剣を抜く理由
《レゾンデートル》なんです」
そう静かに言う俺に、リーンは今度は視線を逸らすことなく
まっすぐに俺に向けてきた。
「うん、これから先も私たちのこと、ちゃんと護ってよね」
「ええ、この身が欠けて折れ、使い物にならなくなるまで
俺は二人を護る剣として在りつづけます」
リーンの言葉にそう答えた俺に、
「大丈夫。折れたら研ぎなおして、
包丁としてでもずっと使ってあげるからねっ」
リーンは明るい調子でそう言いつつ
俺の腕に自分の腕を回した。
「・・・それはどうも」
リーンの体温を腕に感じながら、
今の言葉は「ずっとそばに仕えてね」という意味か
「死ぬまで働いてね」という意味か、
つかない判断に頭を悩ませつつ
月夜の下を帰路につくのであった。
小説トップへ トップページへ