クローン人間〜科学と宗教〜

この文章を読んで、強い反発、反感を覚えた方にこそ読んでいただきたい本がある。カール・セーガン著「人は何故エセ科学に騙されるのか(上・下)」(新潮文庫発行)
科学とは、かくも美しく、優しく、そして厳しいものか、との想いを抱かせてくれるはずだ。

 最近どこぞの宗教団体が「クローン人間を誕生させた」と声高に宣言して話題になっている。私も、元科学者見習の端くれだった身、その主張を見ているうちに怒りともいえる感情に駆られ、思わず筆をとった次第である。
 そも、クローンを創る意義とは何か。結局のところクローン技術は「親世代と同じ遺伝子を持つ子世代を作る技術」である以上、何のために同じ遺伝子を持つ個体を創るのか、という点が問題になるわけである。これが人間以外の生物のクローンについての問いなら、答えは比較的簡単だ。まったく同じ生物学的性質を持つ個体を「大量に」生産するため、というのが一番大きいだろう。それは例えば、同じような味の肉を持つ肉牛などの生産といったことが考えられる。しかし、その技術が人間に適用されるとき、その問いに対する答えは、多分に倫理的、技術的問題をはらんでくる。
 今回の宗教団体の目的、「死んだ息子をよみがえらせたい」という話、言葉の遊びに陥る可能性があるが、重大な問題がある。仮に、体細胞クローンで死んだ息子と同じ遺伝子を持つ子供が出来たとして、その子供は、あくまで「死んだ息子と同じ遺伝子を持つ個体」、わかりやすく言うなら人工的に生み出された双子に過ぎない、という点である。ある人間のアイデンティティーを規定するものを、遺伝子配列であるというのならば、確かに生み出された子供は、死んだ子供と同じ子供である、といえる。だが、これに賛同できる人間はおそらくいるまい。なぜなら、遺伝子的に同じ人間だからといって、まったく同じ性格や体格、個性はもたないからだ。このことは今までの人類の歴史がすでに証明している。そう、一卵性双生児の存在である。確かに一卵性双生児はお互い似た人間ではある。だが、まったく同じ個体ではないことは、論を待たないだろう。仮に、今回のような目的によるクローン人間創造が行われる場合、少なくともこの点に関しては患者(この言い方が妥当とは思えないがとりあえず便宜上そう呼ぶことにする)にきちんと伝えるべきことであろう。一種のインフォームドコンセントである。それをせずに、ただ患者の要望に沿ってクローン人間創造を行ったとしても、本当に患者は救済されるのだろうか。
 また、体細胞クローン創造がもつ技術的な問題も看過できない。この技術はまだ確立された技術とは言えず、どういう不具合が出てくるかもまったく判っていない。現に、世界初の体細胞クローン羊のドリーには数々の異常が確認されている。そも、仮に10歳の子供の遺伝子を用いて体細胞クローンを創造した場合、生まれいずる子供はすでに齢(遺伝子的には)10年を重ねた子供が生まれてくるという問題もあるのだ。これは遺伝子が持つテロメアという因子が関与していることがある程度判明している。移植医療や遺伝子治療、新薬の治験でもそうだが、新しい技術、特にそれが人間に直接適用されるような技術の場合、数多くの試行錯誤、被験者の協力などがあって初めて、一つの確立した技術として成立していく。それには情報の公開、共有が不可欠である。その際、一つでも先走った例があった場合、後に大きな禍根を残すということが往々にしてある。その典型的例が日本における和田心臓移植とその後の日本国内における心臓移植治療の状況、であろう。世間の理解を得るためには情報公開は不可欠なのである。そしてその情報の公開・共有というのはまさに科学の発展を支える根幹であり、科学のあるべき姿の一つである。
 しかるに、今回の宗教団体の言動は、まさにその正反対の方向を向いているといわざるを得ない。独り善がりの理論で突っ走り、肝心の情報はまったく公開しない。挙句の果てには開き直りとしかいえない理論を展開する。おおよそあるべき姿と正反対の方向である。クローン人間を創造すること自体に関する倫理的問題はとりあえずおいておくにしても、それを創造したと主張する以上、その証拠を開示するのは義務である。それを、患者のプライバシーというものを盾に拒むのなら、そもそもクローン人間を創造したということ自体を公表するべきではない。それが最大の、そしてもっとも確実なプライバシー保護の方法である。クローン誕生に際し、その成功率の高さについての質問に対して「愛のなせるわざです」…。「より多くの人々をと救済するために発表した」とか理屈をつけるのだろうが、本当に多くの人を救済したいのならその技術を公表するべきだ。もっとも、そんな技術実際にはないのだろうから公表などできようはずもないが。大々的に公表して、肝心な部分には目隠し。科学の持つネームバリューを利用するだけ利用して、科学のルールにはのっとらない、科学を用いた汚い売名行為以外の何物でもない。そんな似非科学に手を染めた科学者はもはや科学者ではない。単なるペテン師である。そんな似非科学を操る宗教集団に対して、そんな宗教集団の手先のペテン師に対して、私は強い不快感を覚える。
 確かに、患者を救うということは優先すべき事項の一つではある。そのためにクローン人間を創造することについての正否に関して、今回は触れないことにする。ただ、今回の話の場合、もし本当にクローン人間が創造されて、なおかつ患者のプライバシーを云々するのなら陰でひっそりと行われるべきだし、公開してしまった以上、科学のルールにのっとった対応を行うべきである。それをしないということはすなわち、クローン人間誕生に大きな疑問があるといわざるを得ず、もしクローン人間誕生が嘘だった場合、それは患者に対しての裏切りでもある、ということを忘れてはいけない。二重の意味でのペテンである。そして、これが実際一番確率が高いような気もするが、そんな患者も、クローン人間も、存在しない、という場合、それは宗教でもなんでもなく、悪質な売名行為、悪質な詐欺行為である。たとえどれが真実であっても、この宗教集団が行っている行動は断罪されるべき行動である。彼らが行っている行為は、怪しげな心霊手術などとレベル的はまったく変わらないものである。手をかざしただけでガンが治るのなら医者は要らない。愛があればクローン人間が創造できるのなら世の中クローン人間だらけである。
 この手の、似非科学を皮にかぶった宗教団体の話というのは今に始まったことではない。私は信じないからどうでもいいのだが、こういった似非科学によって科学に対する心象が悪くなったりするのもまた事実なのだ。一度でも、科学者の端くれとして活動したことがある身として、これほど悲しいことはない。陳腐な言い回しに聞こえるかもしれないが、「生命の神秘」という言葉は真実だと思う。その辺の宗教が語るような真理など吹き飛んでしまうほどに、それは深遠かつ神秘的な存在である。そんな生命科学の分野を弄ぶ不逞の輩に、今まさに天誅を、と願わずにはいられない。

2003年1月27日 誕生日から1日たった夕べ

毒舌トップに戻る