季節はずれの新入部員

「うーむ…」
「どうしたの、蔦子さん」
 学園祭も終わってはや一週間、澄み渡る秋晴れの空に似つかわしくない唸り声を上げた私に、隣に座っていた祐巳さんがお弁当箱の蓋を閉じながらたずねてきた。今日は珍しく薔薇の館でのお昼ではなく、私のとなりに祐巳さんがいる。
「いえ、ちょっと今日のご飯は柔らかかったな、なんて思って…」
 私も、最後の肉団子を口に放り込み、蓋を閉じながらそんな風に答える。
「ふ〜ん…。で、本当は」
 そんな私のはぐらかしも、さすがに通じなかったようだ。
「困ってることがあるなら、相談に乗るよ。いつもお世話になってるし」
 なんて嬉しいことを言ってくれる。とはいえ、相談したところでどうにかなる類でもなさそうなのが、困ったところなのだが。
「実は…最近太って…っていうのは冗談で、最近ずっと誰かに見られてるような気がするのよね…」
 最初に視線を感じたのは、多分学園祭の時。私が、今年の自信作の、祐巳さんと祥子さまの、とびっきりの笑顔ツーショットパネルの前で悦に入ってた時だ。その時は、この写真に注がれている視線か、そんな私を奇異に感じて注視してしまった、という視線だと思っていた。でも、一日、二日たつにつれ、その視線は、間違いなく武嶋蔦子本人に注がれていたものだ、と認めざるを得なかった。何故なら、パネルがなくなっても、パネルを前に悦にいる私がなくても、視線はなくならなかったからだ。
「でも、蔦子さんともあろう人が、視線の正体もわからないなんて…」
「私は別にスパイとかじゃないんですけど…」
 祐巳さんの口から思わずこぼれた本音に、ちょっとすねたように反論してみる。
「あ、いや、別にそういうつもりじゃ…」
 慌てて取り繕う祐巳さん。予想通りの反応を返してくれる祐巳さんの慌て顔をすかさず一枚。
「題して、乙女の語らい」
「ちょ、ちょっと蔦子さん…」
「さっきの失言は、この一枚でチャラね」
「もう…。でも、ちょっと気持ちのいい話じゃないよね…そういうのって」
 かつて、背後霊を背負っていた経験もあってか、心配そうにしてくれる。そんな心遣いだけでも、私にとっては大きな援護だ。
「大丈夫。祐巳さんだって、今は『背後霊さん』とも上手くやってるでしょ。きっと、同じように私の熱狂的ファンができただけだって」
 と、明るく言って立ち上がる。そろそろ休憩時間の終わりを告げる予鈴も鳴る時間だ。
「それはそれで大変なんじゃ…」
 祐巳さんも立ち上がり、二人並んで歩き出す。そのとき私は、まさか本当にそんな子がいたとは、夢にも思っていなかった。どこまでも高い秋の空と、マリアさまと、一組の視線が、私たちを、いや、私を見守っていた。

「ごきげんよう」
 いくらお嬢さま学校だからといって、放課後よりも授業中のほうがいい、なんていう生徒は少ない。放課後の「ごきげんよう」の言葉は、やはりどこか軽い。そんな少し浮ついた雰囲気の中、私は写真部室に向かった。現像液の匂いがかすかに香り、部室のドアが見えたとき、その前に見慣れぬ学生の姿があった。背丈は私より少し低いか、同じくらい。肩が軽く隠れる程度の、綺麗なストレートヘアもそうだが、何より印象的なのは、眼鏡と、その眼鏡がすごくよく似合う、理性的な光を帯びた目だ。写真部は、一応3年生の部員が一人いたような気がするが、もう長い間見た記憶がない。それに、その姿は部員でないことは明らかだった。私はその視線を、よく知っていた。
「武嶋蔦子さま、ですね」
「そうだけど」
 その視線に、思わず飲み込まれそうになってしまう。それが何故か怖くて、私はつっけんどんに答えた。
「私に、用なんでしょ。何かしら」
 そんな私の様子に臆した様子もなく、その視線にふさわしい凛とした声で、彼女は続けた。「この一週間、大変失礼いたしました。私、一年李組、小沢つばさと申します。実は、蔦子さまにお願いがありまして、本日参りました」
「はぁ…」
 この、武嶋蔦子ともあろうものが、完全に気圧されている。でも、その次に出てきた言葉は、さらに私の度肝を抜いた。
「私を、弟子にしてください」
 そういって、彼女は私に向かって頭を下げた…。

「まぁ、汚い部屋だけど、とりあえずその辺の椅子に座って」
 廊下で、たっぷり一0秒ほど凍っていたが、考えてみたらそこは新聞部もすぐ隣。こんな光景、あまり見られたいものでもない。とりあえず私は、彼女を写真部部室へと連れ込んだ。落ち着いたら、こちらも彼女を観察する余裕が出てくる。ましてや、ここは私のホームグラウンドだ。
(なんだ…彼女も緊張していただけか…)
どこか時代がかった言い回しも、私を射るような視線も、すべて緊張から来ていたものだったらしい。椅子に座った彼女は、受験の時の面接もかくや、といわんばかりに、かちんこちんだった。私も、部室の一角を囲って作った暗室の中から椅子を引っ張り出し、彼女の斜め前におき、座る。正面に座らなかったのは、せめてもの武士の情けだ。
「で…妹じゃなくって、弟子?」
 部室のドアの前で言われたことを思い出し、とりあえず口火を切ってみる。それに対しての反応が、また予想外だった。
「えっ…蔦子さま、妹はいらっしゃらないんですか…?」
「げ…知らなかったの?結構有名だと思ってたんだけど……」
「私、そういうことにまったく疎くて…」
 自分の名声(迷声)も、この程度だと思うと、寂しいような、嬉しいような、少し複雑な気分だ。
「で、なんでこんな時期に、弟子入り志願な訳?」
「はい。学園祭のパネル展示です。あの写真は、すばらしい作品でした。もちろん、被写体の魅力も大きいですけど、あの写真は、その被写体の持つ魅力を、何倍にも膨らませている作品でした。私にはそれがよくわかります」
「ふ〜ん…」
 自分の作品を誉められて、嬉しくないわけがない。
「あなたも、写真を撮るのよね」
 弟子入り志願者な訳だから、当然カメラを弄るのだろう。私はとりあえず尋ねてみた。
「はい…でも、人は撮りません。いえ、撮れません」
「え…。じゃあ、何を撮ってるの?風景とか?」
 私にとって、被写体というのは女子高生以外ありえない。ちょっと信じられない思いで尋ねてみた問の答えは、今日何度目かの私の度肝を抜いてくれた。
「…鉄道です…」
「でっ、でですねっ、是非とも私に、人物の撮り方を伝授して欲しいんですっ」
 慌てて続けた彼女。その必死さが、ちょっと可笑しかった。
「でも、弟子って言われてもねぇ…。私、そんな大層な存在じゃないよ、多分」
「そんなことないですっ。凡人に、あんな写真は撮れませんっ。私もカメラを弄る人間の端くれです、それくらいはわかりますっ」
「いや…そ、そういわれても…」
「お願いしますっ」
 半分涙声になってる。まずい、まずすぎる…。結局、この場を乗り切るために、私はこういわざるを得なかった。
「わ、わかった。じゃあ、弟子はいくらなんでもあれだから、せめて写真部に入部、ってことでてを打たない?」
 こうして、季節はずれの新入部員が、我が写真部にやってきたのだった…。

 翌日の昼休み、写真部のホープ、私と、新入部員のつばささんは、二人連れ立って化学実験室へと向かっていた。隣を見ると、顔中に疑問符を一ダースほど並べたつばささんがいる。あ、ちょっとかわいいかも…なんてことを思いつつ、一応説明しておく。
「あー…実は、写真部の部長、川副芹菜さまは、実質的には化学部員みたいなものなのよね…」
 籍こそ写真部にあるものの、しかも、部長なんていう肩書きを持っているものの、ここ最近写真部室で芹菜さまの姿を見た記憶がない。なんでも、化学の成績は学年でもずば抜けて高いらしく、化学の成績で彼女の上を行くものはいないという。その代わり、社会科系はからっきしダメらしい。本人曰く、暗記はまるでダメなのよ、ということらしい。
「私が入った頃は、それでもちゃんと写真部にも顔を出していたのよ。写真の現像方法を教えてくれたのも、芹菜さまだったし。でも、六月頃にはもう写真部にはほとんど来なくなってたわね。『私よりずっとカメラに愛された子がいるんだもの、私はもう用済みよ』なんてこと言ってたかしらね…」
 そんなことを説明しているうちに、化学実験室へと辿り着く。
「多分、昼休みはここにいらっしゃると思うんだけど…失礼いたします」
 ノックをしながらドアを開く。入って左手、窓際の席が、芹菜さまの昼休みの定位置のはずだ。はたしてそこに、いつものごとく白衣をまとい、コーヒーをすすりながら芹菜さまはいた。
「ビ、ビーカー…」
 コーヒーといっても、実験室名物、ビーカーコーヒーだ。私はすでに何度か見ているので驚きはないが、やはりつばささんにとっては衝撃の光景らしい。
「ごきげんよう、芹菜さま。相変わらずですね」
「ごきげんよう。蔦子がこんなところに来るなんて珍しい。しかも、綺麗な女の子をつれて…ついに妹を作ったの?」
 肩にかかる髪を揺らし、フレームなしの眼鏡の奥で鋭く光る目を細め、喉を鳴らす。その風貌と、白衣と、手元のビーカーが、アンバランスな中で不思議な均衡を生み出している。私は、そんな芹菜さまが決して嫌いではなかった。
「ご、ごきげんよう。一年李組、小沢つばさと申します。蔦子さまの妹ではなく、弟子です」
「弟子…?」
 驚きの表情の中に、面白がるような色が混じる。まずい。この方の好奇心はそれこそすっぽん並みだ。私は慌てて繕った。
「そうじゃないでしょ、つばささん。弟子じゃなくて、新入部員。我らが写真部に、入部希望者が現れたので、その報告と許可を頂きに来たんです」
「許可…。あ、そうか。私、一応写真部部長だったわね」
 相変わらずマイペースな人だ。芹菜さまはコーヒーを実験台の上におき、私たちの方へと歩いてきた。
「えっと…つばささん、でしたっけ。どうして蔦子に弟子入りを志望したの?」
「ですから入部ですって…」
 傍らで肩を落とす私をよそに、二人の会話が始まった。
「はい。学園祭のパネル写真を見て、一目惚れしました。あんな写真を撮れる方なんて、そうそういるものじゃありません。それで…」
「そう。私もね、蔦子の写真は大好きよ。だから、その気持ちはよくわかるわ。あなたも、撮るのね」
「はい。でも、人を撮るのは苦手…いえ、まるで撮れないと言ってもいいかもしれません」
「そう。人を撮るのは、本当に難しいことだわ。私も、苦手」
「芹菜さまも撮られるのですか」
 相手は写真部部長。考えてみたらこれほど失礼な問もない気もするのだが、芹菜さまはまるで気になさる風でもなく、少し首を傾けながら軽く笑った。
「ええ。でも、最近はカメラも眠ったままね。私は、負けるのが余り好きではないから」
「えっ…」
 今までの文脈といまいちつながらないセリフに、私も思わず芹菜さまの顔を凝視してしまった。
「だって、私なんかより蔦子の方がずっといい絵を撮るもの。勝てないけんかをするのは趣味じゃないわ」
 ふと遠い目をした芹菜さまの顔を見ていると、ふと罪悪感に駆られる。そんな私の雰囲気を察してか、芹菜さまは私のほうを見て悠然と微笑まれた。
「嫌ねぇ。それで蔦子が引け目を感じたりする必要はまったく無いのよ。言ったでしょ、私はあなたの写真が大好きだって。それに、私にとって写真は本当にお遊びみたいなもの。もちろん、負けるのは嫌いだけど、あなたの絵を見ているとそんなことはどうでもよく感じちゃう」
 いつのまにか私の目の前に立っていた芹菜さまが、私の頬に手を伸ばしながら続けた。「蔦子には写真を撮ることに専念して欲しかった。だから、私は部長を続けているのよ。大した仕事は無いとはいえ、やはり部長にはそれなりの仕事があるからね。それが、私が写真部の部長を続けている理由」
 確かに、なんで芹菜さまは写真部の部長を続けてらっしゃるのだろう、という疑問は、前々から無かったわけではい。その疑問が、今思わぬ形で解けてしまった。私は、ただただ感謝するしかない。
「…随分と、私のことをおしゃべりしてしまったわね。今度は少し、つばさちゃんのこともお聞きしていいかしら」
「は、はい」
「どうして今ごろ入部希望なの?蔦子って、結構有名だと思ってたんだけど」
 それは、私も少し不思議に思っていたことだ。自惚れるつもりはないけど、今の今まで私のことを知らなかった、というのはちょっと悔しい気もする。
「はい…実は、私、今まで学校のことに興味なかったんです…」
 女の子としてはかなり特異な趣味を持つつばささんは、昔から学校でも浮いた存在で、いじめの対象になったこともあったという。高校でリリアンに来て、いじめこそなかったものの、やはりうまくとけこめず、部活などもまったく興味なかったらしい。
「鉄道研究会でもあれば、迷わず入ったと思うんですが」
「さすがにそれは女子校では難しいでしょうね」
 思えば、新入部員の勧誘も写真部ではしていなかったのだし、学年も違うのだから、学校のことに興味をもてなかったつばささんが私のことを知らなかったのも無理ないこととも思える。
(道理で私も今までこの子のことを知らなかったわけだ…)
これまでも、学校中を股にかけ、学年関係なく撮りまくっている私だから、下級生にも知っている顔は少なくない。それでも私の記憶の中には、つばささんの顔はなかった。本当に、学校と家を往復するだけ、という感じだったのだろう。
「それにしても、弟子入りとは思い切ったわね。妹志望でもなく」
「実は、蔦子さまに妹がいらっしゃらないということも知らなかったんです」
「そうね…。確かに、蔦子そのものを知らなかったんですもの、知らなくても当然かもしれないわね。どう、私の妹になってみる?」
 いきなり何をおっしゃるんだ、この方は…。前々から割と突拍子もないところがある方だとは思っていたが、今日はまったく驚かされてばかりだ。つばささんも、隣で目を白黒させている。
「うふふ…冗談よ。私は蔦子以外は妹にするつもりはないし、蔦子は私の妹にはならない。だから、私には妹はできない。ね、蔦子」
「は…いえ…『ね』、とおっしゃられても……」
 なにか、とんでもない方向に話が進んでしまっている気がする。そんなこと言われても、どう返せばいいというのか。そんな私の顔を見て、ついに芹菜さまはこらえきれないといった様子で笑い出した。
「いやねぇ。ちょっとした冗談よ。蔦子のそんな表情、はじめてみたかもしれないわ。是非とも、フレームに納めたかったわね」
 と言った芹菜さまの言葉の中に、少し嘘を感じたのは、私の自惚れだろうか。
「さ、そろそろ昼休みも終わるわ。改めてつばさちゃん。ようこそ、写真部へ。私も、また少しカメラを弄ってみましょうかね」
「はい、是非っ。よろしくお願いします、芹菜さま、蔦子さま」
 初めて、「写真部」という存在を意識した、そんな気がした。それがとても、心地よく感じた昼休みだった。

「やっぱり、人を撮る時は、短いレンズよりも、長めのレンズね。短いレンズだと、どうしても構えちゃう人が多いからね」
「だからいつも長いレンズで隠し撮りですか」
「失礼しちゃうわね。いつもじゃないわよ。隠し撮り『も』しているだけで」
「でも、どう見ても、隠し撮りのほうが多いと思うんですけど」
「まあね」
 放課後の写真部室に、二人の笑い声が響く。つばさちゃんが写真部にやってきて一週間、こうして笑った顔を見ると、彼女はいい被写体だとつくづく思う。実際、私の被写体に占める彼女の割合は、最近ちょっとしたものだ。そんなたわいもない時間を過ごすうち、いい加減下校の時間になる。私たちは連れ立って部室を出た。秋の空はどこまでも高く、気持ちがいい。
「天高く、馬肥ゆる秋、か」
「蔦子さまの場合、食い気より色気では」
「誤解を招くような言い方はやめてよ」
 そんなたわいもないじゃれあいをしているうち、マリア像の前まで来る。そこには、この時間にしては珍しく先客がいた。
「ごきげんよう、祥子さま、祐巳さん」
 私のかけがえのない親友祐巳さんと、ロサ・キネンシスこと祥子さま。間違いなく、今リリアンでのベストスールだと思う。
「ごきげんよう、蔦子さん。蔦子さんも、今帰りなんだ」
「ごきげんよう。あら、そちらの方は?」
「ごきげんよう、はじめまして。写真部の小沢つばさと申します」
 祥子さまから水を向けられて、ぴょこんと頭を下げるつばさちゃん。
「ああ…あなたがつばささん。蔦子さんからお話は聞いてるわ。はじめまして、福沢祐巳です。蔦子さんのクラスメート」
「はじめまして。小笠原祥子よ」
 それから校門まで、たわいのない会話で軽く盛り上がり、そして別れる。
「やっぱり、素敵なスールですね…」
「ええ。最高のスールだと思うわ」
「蔦子さまは、妹はお持ちにならないのですか?」
 いつかは出るだろうと思っていた話題だったから、それほど驚きはしなかったが、思ったより早かったな、といった感じか。
「そうねぇ…。正直、あまり考えたことがないのよね。今まで下級生との付き合いもあまりなかったし」
「……」
 なんとなく、つばさちゃんの言いたい事も察しはついている。だから、私はこう言ってあげた。
「私の、ベストショットを撮ってくれる子がいたら、是非とも妹になって欲しいわね」
「…っ。はいっ」
 きっと近い将来、この青空のような一枚を見ることができるだろう。その日が、とても楽しみだった。

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